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プロフィール
HN:
椎名あずみ
年齢:
123
性別:
女性
誕生日:
1900/10/31
職業:
お薬と雑貨の販売員
趣味:
空を見る 史跡・神社仏閣巡り
自己紹介:
おチビだけど、社会人。おチビだけど、会社員。
中学生とか高校生に間違えられるけど、お肌の曲がり角は過ぎたいい大人。
空を見上げるのが好きで、縄文~平安時代までの歴史が好き。
新聞の一面の下にある、広告記事(歴史本関係広告)は逃せません。
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この頃、仕事やプライベートで思い悩むことがあり、鬱々としていた。
元々考え込む性格で、他人に相談とか持ち込むタイプではないから、鬱々としてくる。

そうしていると、どんどん鬱々とした出来事が起こってくる。

仕事でも、結構頑張っていると思っていたのだけれど、ベースアップならず。
あ~、またですか~。
とか思って心を落ち着かせようと思っていたけれど、やっぱりこういう時に事件は起きるものでした。

同僚が、売り上げやクレームのことを全く考えない行動をとったのです。
しかも、その同僚はベースアップしていたのでした…。

なんでこんな考えの浅い人間の給料が上がるんだよ!?
って、思ってしまった。

この出来事で鬱屈が溜まり、私の腐のオーラがマックスに。
遂に上司の上司に呼び出され、「どうした、何があったんだ。なんか重いぞ」と言われてしまった…。

ここぞとばかりに事件の話をした。
私の考えではありえないことをやらかした人間はベースアップして、私は現状維持。
もう、どうやって仕事をして良いかわからない。
いっそ、仕事のやり方を変えようかとも思ってしまう。
そう話したら、上司の上司は頭を抱えた。
言いたいことはわかる。わかるけれども、お前はお前のやり方を変えるな。今までやってきた事が無に帰す。
あまりにも勿体無さすぎる。
そう、言ってもらった。

それが素直に嬉しかったから、今までと同じように仕事をしようと思えるようになった。
でも、気を遣いすぎて結構辛いんだよね…。
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つい先月、もう会社を辞めてしまった後輩Iさんと食事した時、私の職場の同僚Hと付き合っているという報告を受けた。
全然付き合っているという素ぶりも何もなかったので、私は大いに驚いていたのだけれど、更に驚くことに。
付き合い始めて、長くても4~5か月くらいなのに、もう一緒に住んでいるというのだ。
や、それは早いでしょ?
って思ったけれども、お付き合いしているという事に驚いてしまって、その時は全然頭が回らなかった。

そして今日、先輩社員が同僚Hに付き合っていますという報告を受け、そして「結婚します」という報告を受けた。

付き合っているのをなんとなくわかっていた先輩社員は、「やっと報告してくれたか」と思ったそうだが、続く報告に度肝を抜かれ、私に教えてくださいました。
私もビックリ!!!
商店街全体に響くような声量で「はぁ~!?」と言ってしまった。

これは…いわゆる…さずかり婚ってやつなの!?
と先輩と戦々恐々とし。
「なんだろう…素直におめでとうと言えないのは…」
「なんですかね?ちゃんと考えたの?お互いにこの人で本当にいいの?って問いただしたくなるのは…」
と、あまりのショックに頭が回転せず。

先輩社員と帰り道に2人についてずっと話していたら、どんどん心配になってきた。
後輩Iが辞めると決めた時期は、同僚Hと付き合い始めた時期に合致したりして。
後輩I的には、もう働きたくないから手近な同僚Hで保険をかけた…と思えてきてしまい…
後輩Iはとっても良い子なのに、どんどん嫌な女のように思えてきてしまって、もう2重の意味でショック。

しかも同僚Hは一応責任者の中に入るのだけれど、微妙な立場で、お給料ももしかしたら私とそう変わらないかもしれなくて。
私が恋人に選ぶかといったら、絶対に選ばない。そういう評価の男の子。
そういう子なのだが、キープできるものはキープする。でなければ結婚はできない。そういうことなのかと思うと、かなりネガティブになる。

ためになったね~ ためになったよ~
とか、そんなレベルを超えている。

先日、同僚に誉められた…誉められたのかどうなのか、ちょっとニュアンスが違うかもしれないと迷うようなものだけれど。
「コトナさんに教えてもらいました」
と言われたんだから、きっと誉めていた…はず。

その同僚が言うには、
「人について教えてもらいました」
ということなんだけれど、私は教えたつもりは一切なかった。
ただ日々私の仕事だと思うことを、思うままにやっていただけ。
他人様に人について教えるほど、凄い人間ではないし。
どういうことなんだろう?と思っていたら、数日後にどういう意味なのか判明した。

店に私がいるだけで、緊張感と「仕事とは?」と思わせる。

らしい。
同僚曰く、今の子たちは「早く帰りたい」とか「遊びたい」が先行してしまっていて、仕事の質が悪い。
私の所属する店舗の人々は(上司が怖いから)緊張感を持って仕事をしているので、他店で仕事をしたりすると、特にそう思うらしい。
仕事を「やらされている」感覚で仕事をするのと、自分の仕事に誇りと責任を持って仕事をするのでは、仕事の質が違う。
そういうことらしい。

こうやって誉められてしまうと、
「いやぁ。私だってふわ~っと仕事してますよ。たまにレジの中で接客していて、記憶がない時がありますからね!」
と言わなくてもよい事実を言ってしまうのだけど。
どうやら私の場合、「私は店の為にこれだけやるよ!あなたは!?」と突き付けているようなことになるらしい。
そんなつもりはないんだけど…。
むしろ私は担当している仕事が少ない分、皆以上にやらなくちゃね!!と思って仕事しているだけだったり。

でも、よくよく考えてみると、同僚たちには「あなたはどこまでやる!?」と迫っているような働き方をしている気がする。
女子の同僚が家庭に入りたいという理由で辞めていった時のこと。
私が「こんな不安定なシフトで大変な仕事を続けるよりも、家庭のことを考えて仕事を選んだほうがいい」と言ったら、「やっぱりコトナさんにも結論を出す前に相談すればよかった」と何回か言われた。
私って、どんだけ仕事第一の人間だと思われていたんだろう…。

確かに、私には「仕事とはこうするべきである」っていうのはあるけれど。
けれどそれを他人に押し付けようとは思ってはいない。
それぞれの思いがあって、それぞれの資質があって、それぞれの価値感があって。
それらがあって働くのだから、私の働き方が一番だとは思わない。
むしろ、私の同僚で私みたいなのがいたら、メチャクチャ疲れる。
絶対に疲れる。

そう思うと、誉めてくれた同僚は心が清いなぁ。

 


今年は私の節目の年だ。
きっと、それは今現在日本の誰もがそう思っているかもしれないけれど。
節目の時だと思う。

家族に対しての認識だとか、考え方。
仕事に対する思い。
元々、いらないことを永遠と考えていたりする質だけれど、真面目に、誠実に考えなくてはならないと思う。

特に仕事に関しては真剣に考えなくてはいけない時がきたと感じる。
新卒採用された会社が買収され、今や大企業の仲間入りをしたことになっている。
買収した方の会社の方針は、私の思うものと真逆だった。

先日、新しく就任した社長の経営指針を拝聴した。
全社員が直に社長の言葉を聞くための研修は、地震の影響で1カ月遅れになったもの。
私の勤務先の先輩は、先月研修を聴いていて、それはそれは働く意欲をなくしていた。
新しく加わった私たちの店20数店を差別するような言い回しが多かったそうだ。
一か月経ち、私が参加した研修にはそのような言い回しはほとんどなかった。
きっと、クレームがいったのだと思う。
差別するような言い回しはなかったが、「こんな店はダメだ」という条件に見事に私たちの店が誇る特性が合致した。

回りくどく、オブラートに包まれていたが、私たちの店のやり方が嫌いなんだなということはわかった。

じゃあ、買収しなきゃよかったじゃん。
と思った。
言っておくけど、あんたの言うダメな店で、一店舗で年間10億稼いでんだよこっちは!!
あんたらの店は数が多いだけだろうが!!
と喧嘩売ってもいいと思った。

どうやったら売り上げをつくれるのか。
何を改善するべきか。
お客様第一で、現場の意見を反映し、共に作り出していく会社だったのに。
買収され、経営陣が退職せざるを得なくなり、店と共に残った私たちは真逆の方向に指をさされる。

あと2~3年で、今掲げている屋号が別の屋号になるという。
別の屋号になるということは、今までのやり方ではもうやれなくなるということだ。
父の死を経験して、大きな会社が従業員に施してくれるものはとても大きいということはわかった。
わかったけれど、「違う」と思いながら仕事はしたくない。

研修があった日、帰宅すると母が心配そうに「どうだった」と聞いてきた。
屋号が変わったら、辞めるよ。
そう伝えた。
私は今の職場が好きだ。
お客様は曲者が多いけれど、あの店で働くのが何よりも楽しい。
仕事は辛くて、文句を言っていないとやっていられないけど、あの店で働いていることを誇りに思う。

辞めて転職するにしても、どんな職業に就きたいかなんて想像すらできない状態だけれど。
これが節目だと思う。


 


3.11の震災で、私は帰宅難民になりかけた。
職場の先輩は、リアルに帰宅難民になった。

11日、JRが全面運転見合わせになり、私鉄も見合わせとの情報が流れ、帰れないことを悟った。
職場は品物が少し破損した程度。
小売業なので、食糧や水、生活に必要なものはある程度揃う環境。
段ボールを敷けば寒さもしのげるし、ということで職場に泊まることを決意。

本当は、歩いて家に帰れないこともないのだけれど、それをすると約5時間くらいは歩き通しになるし、大事なセール中だったので体力を使いたくなかったというだけの判断なのだけれど。
結局、会社側は危険なので足がない人は職場待機という指示を出した。

上司は職場から歩いて20分程のところに住んでいるため、帰宅は可能だったけれど、私たちがいるので留まった。
泊めてくれると言ってくださったけれど、小さなお子さんがいらっしゃるのでお気持ちだけいただいた。

職場の後輩で福島出身の子がいる。
彼女は家族と連絡が付かず、ずっと不安そうにしていた。
深夜、私鉄が動き出したと情報が入ったが、後輩女子たちは地震の恐怖と不安で全く動けない。
上司に「お前はどうする?家に帰るなら帰った方がいい」と言われたが、全く動けない彼女たちを放って、自分だけ実家に帰ることなんてできない。
彼女たちが動かないなら、私も泊まると返事した。
そこへ、福島から無事であるとの連絡メールが届いた。
家族の無事を知った後輩は安堵し、やっと体が動いた。

でも、一人暮らしの家に帰りたくない。地震が怖いし、不安だとつぶやいた。

確かにそうだ。
私みたいな図太い性格ならまだしも、彼女たちは繊細な女の子。
「国道探して歩けば帰れます」とか言っちゃう奴ではないのだ。
だからと言って、上司が家族の元に行けないのは辛いはずだ。
ならば。
「ウチにおいで!!二人とも!!!」

家族になんの許可ももらっていないけど、そうした。
私の部屋なんて整理されていなくて、誰にも見せたくないけど(なんたって隠れ腐女子だし)。
不安がっている後輩たちを見ていられなかった。

動き始めた私鉄に乗り、そこで家族に連絡。
家族は快く後輩2人を迎え入れてくれた。
兄や義理の姉は同情的で、「ひとりはやっぱり怖いよ」と言ってくれた。
母はベッドと寝巻を提供してくれたし、後輩2人の分まで朝食と昼食のおにぎりを用意してくれた。
甥っ子は、後輩2人に癒しを与えてくれた。

やっぱり家族は素晴らしい。


数日後、職場の先輩と倉庫で仕事をしていた時のこと。
「コトナさんさぁ、やっぱり私たち結婚しよう!」
いきなりだ。
さすがは私の先輩だ。

先輩は11日、本部で研修を受けていた。
東京のど真ん中であの地震にあった。
着慣れないスーツを着て、履きなれないヒールの靴を履いて、6時間かけて自宅まで歩いたそうだ。
報道であった、帰宅難民のひとりだ。
一緒に本部で研修を受けていた人たちと歩いていたそうだが、帰宅が深夜1時30分頃。
不安と恐怖の中、東京を横断したのかと思うと…。

先輩も地震で家族の有難さを感じたそうだ。
そして、自分が家族を作っていかなくてはいけないことも。
私も先輩の思いと、同じだ。
支え合える人を作らなくてはと思った。

「やっぱり、家族って大切だと思いましたよ」
「うん、本当に大切」
「今ある家族も大切ですけど、私たちは新しく作っていかなくちゃいけないですよね」
「そう。そうなんだよ!コトナさん!」
「仕事ばっかじゃダメですね」
「そう。仕事してる場合じゃないよ!主任!!私結婚するから!!!」
「結婚ですか~。じゃあ、新生活に役立つ物を贈りますね」
「よろしく!!」

途中、どこから突っ込んでいいのかわからない会話になったけれど。笑

後輩が泊まった朝に母に言った。
「私はみんなに良くして貰えて、本当に恵まれてる」

優しい家族と、愉快な同僚たちに囲まれて、私は本当に幸せ者だと思った。
 

Copyright (C) 2009 コトナゴコロと秋の空 All right Resieved.
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